「新しき村」と「この道」

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宮崎県木城町「新しき村」遠景

私の原点となる体験について書きます。

日向「新しき村」を訪ねた時のことです

大学の4年目を休学して過疎地行脚の旅に出ました。
ホンダのXE50という原付の荷台にオリオンビールのケースをくくりつけ、そこに寝袋と資料を入れて鹿児島行きのフェリーに乗り、鹿児島から宮崎へと北上して行きました。
旅に出る前から訪ねることを決めていた場所がいくつかありましたが、その一つが宮崎県木城町の「新しき村」でした。

大正8年 新しき村の人たち 
後列中央が武者小路

「新しき村」は大正時代の文豪武者小路実篤によって約100年前の大正7年(1918年)に開かれました。
白樺派らしい理想主義でここにユートピアを築こうとしていたのですが、スタートして20年後にダム建設によって農地の多くが水没するため、わずかな人を残して埼玉の方に移転します。
私が訪ねた時には武者小路の奥さんだった方と松田さんと言うご夫婦の合わせて3人の方がいらっしゃいました。
到着して数日目の昼食時間に一緒に見ていたテレビで「沖縄復帰10周年」の式典のニュースが流れていたので、それは1982年5月15日だったことになります。
農作業を手伝いながら約1週間滞在させていただきましたが、ここの田畑の土の良さには驚きました。
前記したようにすぐそこにダムがあり、数年に一回全部の水を放出してダムのメンテナンスを行なうそうで、その時に松田さんは湖底の泥を持って来て農地に入れているとおっしゃっていました。
ほくほくして柔らかく温かく、沖縄のコンクリートのような土に慣れていた私には大きなショックでした。
近所の人達と一緒に田植えをしたり、夜に村の中心地まで車で出かけ松田さんが参加している文学の勉強会に連れて行ってもらったりした事を覚えています。

そんなある日の夕方、作業が終わってから夕食時間まで少し間があるから下のダム湖でボートにでも乗っておいでと言われ、一人で湖畔の孟宗竹の林を抜けてダム湖まで下りて行きました。
少しボートで遊んだ後、水際に腰掛け、物思いにふけていました。
辺りが暗くなり始め、そろそろ帰らなければと思って後ろの竹林を見て愕然としました。
湖の上の空はまだ明るさが残っているのに、林の中は、完全な闇でした。
ここへ下りてきた時に歩いた小道は、暗闇の中ではとても歩けるようなものではありませんでした。
でも、行かなくてはならない。
心配したとおり、歩き始めると竹にぶつかったり、土手を転げ落ちたり、タケノコを掘った穴に落っこちたり、全くどうにもなりません。
都会育ちの弱さを痛感し、恥じました。

・・・その時、これはメッセージだと思いました。
どうしてそう思ったかはわかりません。
YesかNoか、確認しました。
「Yes」
そう思った瞬間、目の前に曲がりくねった白い道が見えました。
「No」
そう思ったときその道は消えました。

もう一度「Yes」、現れた白い道を歩き始めました。
次の質問をしなければなりません。
私がそのとき抱えていたいくつかの大きな問題、
生きることの根底に関わる信念体系のようなものについて「Yes or No」を繰り返して行きました。

その白い道は、本当に見えているのかどうか、まぶたを閉じても開けても変わらないくらいの真っ暗な中で、ボーと幻のように見えるのです。

その時にした質問の内容はここでは触れませんが、一つの答えが得られると
「そうだったんだ。これからはそれを基に生きていこう」というようなものでした。

その得た答えを反対にしてもう一度確認します。
道は消え、またタケノコの穴に落ちたりしました。

そうやってようやく竹林を抜けると、ちょうど松田さんが心配して懐中電灯を持って私を探しに行こうとしているところでした。
私は心配を掛けたことをお詫びし、夕食の席に着きました。

日向の新しき村は川とその川のダムで三方を囲まれ、陸の孤島のように存在しています。
川の少し上手で橋を渡り、左右を果樹や桜などの木が植えられた道を通って入っていきます。
それがとても美しく、文字通りの桃源郷、ユートピアでした。

宮崎県木城町「新しき村」遠景

ここを見下ろす丘に武者小路の揮毫による碑が立っています。
「この道よりわれを生かす道なし この道を行く」(注:下記)
ミニバイクに跨って一週間お世話になった「新しき村」を後にする時に、この碑文に気づきました。

竹林の中で私に「道」を示したのは、誰だったのか・・・。

ここでの体験は私の最も核となるものをつくってくれました。

松田さん、あらためて、ありがとうございました。

(注:石碑について、私の記憶にはこのように残っているのですが、今回この記事を書くにあたって確認すると、そのような石碑ではありませんでした。
記憶違いだったのか・・・判りません。いずれ現地を訪ねて確認出来たらと思っています。)

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与久呂(ヨクロ)農園は清流長良川の源流地、岐阜県郡上市の山間にある、無肥料自然栽培で米と野菜を作っている農家です。もうすぐ還暦の私ですが、幼い子どもを育てています。そんな日々の農業のこと、豊かな自然の中での子育てのこと、背景にある今の社会に対する思いや考え、そして農と食のネットワーク作りについて発信していきます。
(与久呂はわが家荒井家の屋号です。)
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