「自由からの逃走」と「新しいつながり」

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「疎外」とは支配され、人間性を失うこと

「疎外」言う言葉は、一般的には「よそよそしくしてのけ者にする、疎んじること」の意味で使っていますが、
哲学・経済学用語としては「人間が作った物(機械・商品・貨幣・制度など)が人間自身から離れ、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること。 またそれによって、人間があるべき自己の本質を失う状態」を言います。

わかりにくいと思うので簡単な例をあげます。
1. 私は「会社」をつくった。
2. その会社の経営を維持するために、いろんな努力をする。
3. その努力とは、社員に対して長時間労働、リストラ、マニュアル重視、などなどを強いること。
4. 経営者である私も当然ながらその対象の中にあり、不本意ながらも上記の努力をするし、場合によっては株主総会でクビにされ更迭されることもある。
このような例は今の社会ではよくあることですね。
「株主総会」とは縁のない自営業でも同様の「不本意な努力」は不可欠なのが現実でしょう。
自分が自分のために、と思ってスタートしたのに
社長にしても社員にしても、自分のための会社なのか、会社のための自分なのか、、、逆転していると感じることはとても多いはずです。
このように「自分でつくったものに逆に支配され、自分の大事なものを失う」このプロセスを疎外といいます。

そして、最初の「会社」の部分をいろんな言葉に置き換えられる、ということも重要なポイントです。
この「疎外」の概念を最初に言ったのはヘーゲルで「カッコ」部分が「神」でした。
人が「神」を創造し(思い描き、宗教をつくり出し)、逆に支配される。という姿を言っていました。
マルクスがその概念を継承して「カッコ」に「資本主義経済」を入れました。
この「資本主義経済」のシステムが人間の本質を失わせていると言って、大著「資本論」を書き、
資本家から自分たちの自由を奪い返す運動を起こさせました。

ヘーゲルやマルクスの理論が正しいかどうかはわかりません。
が、「疎外」というプロセスは間違いなくあると思います。

この「疎外」という概念を知ったのは卒論を書いているときでした。
以前の記事に書いたことですが、私は大学の4年目に休学して全国の過疎地や有機農業の農家を巡りました。
過疎地の現状、その問題の深刻さ、その対策として「新規就農(帰農)」、さらに考え方や生き方の面で「有機農業の大切さ」を卒論に書いていました。
しかし、何かとても大事な部分が埋まらないと感じていました。

それは、
どうしてそのような問題が起きるのか?
自分が破滅するかも知れないような事態を招きながらも、なぜそれが止められないのか?
例えば有機農業という一つの「解答」にも人がすぐに向かわないのは?
「食の安全」「健康」という当然と思われるような方向にも必ずしも向かわず、むしろ逆行するのは?
自分の心の中にもあるそのようなメカニズム、力動(ダイナミズム)がどうして生じるのか?
(ごめんなさい難解な言葉を使って、当時読んだ本の記憶を辿って書いています)

それが書けなければ、「卒論」はただの現状報告書になってしまう。
大学の図書館の本を読み漁り、学校に泊まり込みで書きながら、頭の中はその「答え」を求めていました。

「自由からの逃走」

そんなある日、よく行く古本屋の本棚の右上の方からある本が呼びかけてくれました。
あまり目立たないその本の背には「自由からの逃走」とあります。
著者はエーリッヒ・フロム、名前は聞いたことがありますが(ユング派の心理学の人…)本は呼んだことがありません。
早速手に取り目次を見ました。

序文
第一章 自由―心理学的問題か?
第二章 個人の解放と自由の多義性
第三章 宗教改革時代の自由
1 中世的背景とルネッサンス
2 宗教改革の時代
第四章 近代人における自由の二面性
第五章 逃避のメカニズム
1 権威主義
2 破壊性
3 機械的面一性
第六章 ナチズムの心理
第七章 自由とデモクラシー
1 個性の幻影
2 自由と自発性
付録  性格と社会課程

上記の第六章にあるように、この本の中でフロムはナチスによるユダヤ人の迫害や虐殺を例にとり、その心理的社会的メカニズムを解説していました。

第一次大戦で敗戦国となったために大きな賠償を負わされ疲弊していたドイツに救世主のように現れたヒトラー。
何故あれほどドイツ国民は熱狂的に支持して、あれほど“非人間的”な行為ができたのか?
フロムは、社会(経済)の支配の下で、人が無意識に非人間化してしまうプロセスを書いていました。
そして、もしあのヒトラーが現れなかったとしても、他の誰かが同じようにしていた(させられていた)はずだ、とも書いていました。
つまり、多くの人々によってあのような「独裁者」が作り上げられ、あのような行為を一緒になって産み出していたのだということです。
「疎外」のプロセスです。

どうして「力」(ここでは支配者ヒトラー、私達の身の周りでは、会社、お金、権威、名誉、大義名分などなど)に人は追従し、支配されてしまうのか?
その心理的な力動(無意識下の力)について書いてありました。
まさに私が求めていた答えでした。

そうか「疎外」というキーワードで調べていけばいいのか、
あらためて大学の図書館の今までとは違う棚、心理学、経済学、哲学のコーナーの本を読むようになりました。
卒論ではこの「自由からの逃走」とカール・マルクスの「経済学哲学草稿」を主に参考にして「疎外」について書きました。
機会があればその詳しいところも書きたいですが、多分、「パス!」と思っている人が多いと思いますので、控えるかも知れません(笑)。
余談、今書いた(笑)というコレ、人生で初めて使いました。(笑)←2度目

仮面の下には?

さて、ムズカシイ話が長くなるときらわれるので、そろそろ大事なポイントだけまとめて行きます。

どうして「疎外」はおきるのか?
それは「恐怖」の支配によります。
その「恐怖」とは、一番は「死」の恐怖です。
「死」はいろいろカタチをかえて近づいて来ます。
たとえば・・・貧乏、リストラ、倒産、仲間はずれ、失敗、落ちこぼれ、老い、チビ、ブス、デブ、ハゲ、病気、、、、(書きながら、グサグサ!)
そして、その魔の手から逃れようと、お金、会社、地位名誉、グループ、薬やサプリメント、怪しいノウハウ、、、にしがみつくのです。(こう見ると、そちらの方も「魔の手」ですね)
支配された人は、もちろんそれは不本意です。
本来は我慢できない、そんな自分は嫌で許せない・・・だからそこに大義名分や口実を与え、
不本意な気持ちを無意識下に押し込めます。

でも、ふとしたきっかけで「ほんとうの自我」の叫び声が湧き上がって来る。
「何か違う!」「これは本当の私ではナイ!」「もうイヤダ!」
そして、イライラしたり、怒りや悲しみや絶望感を感じることになります。

「疎外」を克服するために

フロムはその解決手段として
「自分自身の有機体としての生産性を実現する生活こそが、それらの危険な自由からの逃避を免れる手段」としていました。

例えば、帰農する人
あるいは、絵画や書や音楽やダンスなどで自己表現しながら、それを生活の糧にしようとしている人
あるいは、ネット上で、ブログや動画(YouTubeなど)で自己表現をする人
偽りの自分でなく、「これがほんとうの私です!!!」という大きなメッセージを発信していると感じます。

「自分自身の有機体としての生産性を実現する生活」とはこういうものかも知れません。

一方、絶対に忘れてならないことは私たちを支配し、隷属させるメカニズムの根源についてです。
それは「経済構造」です。
だから、オーガニックな農業をやっても、歌やダンスを頑張っても、素晴らしい絵や書を創り上げても、「経済」の支配束縛の下にあっては結局は「お金のために」偽りの「生産」をおこなってしまうことになります。

私はここ数年のネットビジネスの世界を見て、驚きました。
資本主義経済のシステムの綻び、と言うか終焉を垣間見た気がしました。
それは見方によっては「資本主義の権化」「究極の形態」と言えるかも知れません。
一方で「極まれば、転ずる」のことわざ通り、次の新たな地平を感じるのです。

それまでは、我が国や世界の情勢を見ると、この資本主義の末期症状(=戦争経済)とともに人類は滅び去っていくのかと感じていました。
それほどまでにあまりに拘束力の強い、ガンジガラメの状況だと感じていました。
ところが、そんな中にあって、ひょうひょうとPC一台を片手に持って世界中をノマドライフ・・・
組織にも時間にも、そして経済にも束縛されない「新しい人種」
ネットの世界をうまく活用した人たちの姿を見て、驚いたのでした。

例えば、私がそんなことを調べていたり関わったりしていると、いろんな人から声をかけられます。
アヤシイ勧誘もとても多いですが、新しいこの分野の切り拓きかた=幸せを共有しよう、という呼びかけも確かにあります。
実際に、タイに住むある方から声をかけられ、やり取りしました。
私の考えや状況を伝えたらとても親身にアドバイスを下さり、とても役に立つ情報(私一人では辿り着けない手法)で助けてもらいました。
その方にそのことで利益が発生していたかはわかりませんが、発生していて欲しいと思っています。
Win-winの関係であることが望ましいからです。
どちらか一方が損をしたり、おんぶに抱っこだと、必ず「疎外」の支配の手が忍び寄るからです。
(もうおわかりいただけると思います)

「自分自身の有機体としての生産性を実現する生活」(長いしヤヤコシイからもう使いません。ご勘弁!)
と、こんなネット上の有機的なつながりの組み合わせ、
ひょっとして、その先に、ほんとうの「自由」が、
「新しい世界」が広がっているのかも知れないと、期待を感じています。

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