過疎地はいま? ポイント・オブ・ノーリターン・・・

新規記事

私は大学4年目(1982年)の時に、一年間休学して全国の過疎地を渡り歩きました。

50㏄の原付バイクの後ろに寝袋と資料(過疎白書など)を積み、沖縄から鹿児島へフェリーで渡って、少しづつ北上しながら過疎市町村の役場や県庁、大学、そしてユニークな農家などを訪ねました。


(赤線が私がその時に辿った軌跡です。)

鹿児島港から南端の佐多岬まで下り、そこから点々と「過疎白書」に掲載されている小さな町村の役場を“突然”訪ねて「過疎の話を聞かせて下さい」・・・そんな調子で北は山形、新潟あたりまで行きました。
どうしてもっと北上しなかったのかというと、雪が積もり始めてバイクでは無理となりました。

過疎町村の役場以外に、県庁、大学、そしてそんな過疎地で新しく農業を始めた人を訪ねましたが、その農家の多くが有機農業でした。

その農家でお世話になりながら話を聞き、次に行くところを言うとその近くの同様の有機農業の農家を紹介してくれて、次第に有機農業の農家を訪ねる旅となりました。

そこで出会った農家の人たちに私は大切なことをたくさん教えられ、その後の人生を大きく変えることになったのですが、その辺のことはまた書くことといたしまして、今回は「過疎地」について書きます。

私が過疎地を訪ねるきっかけとなったのは、琉球大学3年の12月に鳥取大学の津野幸人(つのゆきんど)教授が見えて、特別講義として授業を受けたからでした。

津野幸人著「農学の思想   技術論の原点を問う」農文協

その中で津野教授は「過疎地を再生すればこの国の食糧問題は解決できる」と資料を示しながら話すのでした。
当時から我が国の食料自給率はかなり低く、私がこの国に未来はないと南米移民を決めた要因の一つとなっていましたので、そう言われると「では過疎地を見るしかない」となったわけです。(短絡的すぎるかな・・・?)

過疎地とはご存知のように人口が少ない地域のことを言いますが、具体的にはある一定期間に急激に人口が減少し、結果、高齢者比率が高くなり、若年者比率が低くなり、財政力指数が低下した地域(自治体)のことを言います。
その“ある一定期間”とは、その時々の過疎法の要件によって変わりますが、高度経済成長で農村部から人口が急激に都市部に流入した時期を基準にしています。
またその「過疎法」も昭和45年からおよそ10年ごとに名称や内容が変わって来ていますが、ここではその辺は省きます。

過疎化の端緒は、戦後に薪や炭が石油に取って代ったために(燃料革命)、山陽や山陰地方の山間部で林業に携わっていた人が離職したことから始まり、東京タワー(s33年)、東京オリンピック(s39)、新幹線(s39)等が象徴する高度経済成長の開始によって、ものすごい吸引力で各地から人口が都市に集められました。
その結果、過密と過疎、公害、第一次産業の地位低下に伴う食糧自給率の低下、などの問題が起こったのでした。

それから約20年が経過した頃に、上記したように私は九州から東北までの過疎地を巡ったのでしたが、それからさらに40年近くが経過した現在、果たしてこの国土はどのような状況になっているのでしょうか?

平成29年度版「過疎対策の現況」総務省 より

平成29年度版「過疎対策の現況」総務省 より

上記に引用した資料のとおりなのですが、少しまとめます。

・過疎市町村数・・・817団体(全国1,719ある市町村の47.5%)

・過疎地の人口・・・10,878,797人(全人口の8.6%)

・過疎地の面積・・・225,468平方km(全国土の59.7%)

国土の6割を占める面積の土地に、人口のわずか8.6%の人が暮らしている地域=過疎地なのです。

かなり異常で危機的な数字だと思いませんか?

実は40年前は、市町村数が約35%、面積が約45%でした。
その後、市町村の合併が進んで小さな過疎町村が隣接する大きな市に吸収合併された例も多かったので、表面上は数値が改善していると思っていましたが、一層悪化していました。

また、高齢化率50%以上の地域を「限界集落」と呼ぶようになり、2016年に国交省と総務省がその実態調査を行いました。

その調査結果では、2010年~2015年の間で190集落が消滅し、2016年時点で限界集落の数は1万4375。

5年前の2011年時には1万91集落だったので、5年で4000を超える集落が限界集落となったことが分かります。

これは全国の市町村の22%を占める割合となっており、さらに集落全員が65歳以上の集落が162集落となっています。

平成29年度版「過疎対策の現況」総務省 より

過疎地域の高齢化は、全国に約20年先行していると言われています。

少子高齢化がこの国の大問題となっていますが、世界の中の日本、日本の中のこの様な地域が、時代の最も先端を歩いていることになります。

だから、やはり、「過疎地の再生」にはものすごく大きな意味が、つまり、社会全体の将来の姿がそこに問われているのだと思っています。

40年近く前に「過疎地を再生すれば・・・」と思い、以来、ずっと過疎地の動向と再生に関心を寄せてきました。

その過疎地の状況は以上の通りです。

さて、「再生」は、まだ可能でしょうか・・・?

もうPoint of Noreturn(帰還不能点,もはや後に引けない段階)を過ぎて久しいのでしょうか?

津野先生、いかがでしょうか?

 

別の記事に書いたように、過疎問題、人口問題、食糧問題そのものよりも、そのアンバランスを生む人や社会の在り方が問題だと、今は考えています。

しかし、これだけのアンバランスを生みだして、人は社会はさらにどこへ向かおうとしているのか?

解決の糸口は?

真剣に考え、みんなで話し合い、取り組むべきなのではないかと思っています。

プロフィール


与久呂(ヨクロ)農園は清流長良川の源流地、岐阜県郡上市の山間にある、無肥料自然栽培で米と野菜を作っている農家です。もうすぐ還暦の私ですが、幼い子どもを育てています。そんな日々の農業のこと、豊かな自然の中での子育てのこと、背景にある今の社会に対する思いや考え、そして農と食のネットワーク作りについて発信していきます。
(与久呂はわが家荒井家の屋号です。)
プロフィールページ

新規記事
seiji@yokuroをフォローする
タイトルとURLをコピーしました